囲碁 の 第 44期名人戦

http://netdays365.com/archives/5792, ◆動画生中継や棋譜の視聴方法まとめ◆ 対局場 : 三重県鳥羽市「戸田家」 名人戦: 主催: 朝日新聞社、日本棋院、関西棋院: 後援 - 特別協賛 - 協 賛 - 特別協力 - 協 力 - 優勝賞金: 3100万円(43期より) 特設サイト: 第44期名人戦特設サイト 2019囲碁【第44期 名人戦】日程と結果速報、動... 2018年12月17日 に投稿された; 囲碁のタイトル賞金額!ランキング1位の井山裕太の年... 2017年8月2日 に投稿された; 2019囲碁【第43期 棋聖戦】日程と結果速報!山... 2018年4月12日 に投稿された 持ち時間: 8時間, ◆タイトル戦日程表◆ 。クラウドに好きなだけ写真も保存可能。, 【最大370円OFF】対象の本とSUUMO住宅情報誌の同時購入で合計金額から割引。, 【*期間限定なし*この商品の特典】Amazon.co.jpが販売する【A】SUUMO住宅情報誌と【B】対象の本をまとめて同時にご購入いただくと、注文確定時に合計金額から最大370円OFFに。詳しくは, このショッピング機能は、Enterキーを押すと商品を読み込み続けます。このカルーセルから移動するには、見出しのショートカットキーを使用して、次の見出しまたは前の見出しに移動してください。, 商品詳細ページを閲覧すると、ここに履歴が表示されます。チェックした商品詳細ページに簡単に戻る事が出来ます。, © 1996-2020, Amazon.com, Inc. or its affiliates. 名人(めいじん)は、優れた技能を持つ棋士に対する敬称。江戸時代から昭和初期にかけては名人は天下に1人と定められていた。現代では、囲碁の棋戦の一つである名人戦に優勝した棋士に贈られるタイトルとなっている。, 「名人」の語は、織田信長が一世本因坊本因坊算砂(日海)の囲碁の腕を讃えて「そちはまことの名人なり」と称揚されたことに由来しているとされる[1]。ただし、証明する資料は一切なく、また、算砂の師匠の仙也も存命であり弱冠20歳の算砂が「名人」と呼ばれたとは信じがたいとの主張もある[2][3]。鎌倉時代の『二中歴』(ca.1210–1221) にはすでに、囲碁と雙六の名人についての記述がある[4]。また、『正徹物語』(ca.1450) にも「名人」の用例がある[5]。, 江戸時代、「名人」は幕府の家元制度の元で囲碁界を統括する立場として確立した。名人の地位に就いたもののうち、寺社奉行から許しを得て碁界の取りまとめ役となったものが「名人碁所」である。名人碁所は棋士全ての段位認定権を持ち、囲碁界の最高権力者であった。この地位をめぐり数々の死闘、暗闘が繰り広げられた。江戸時代から昭和初期に至るまでは九段が即名人を意味しており、天下にただ1人だけと定められていた。また、八段は準名人、七段は上手(じょうず)とよばれた。, 1924年に日本棋院が設立されてからは大手合による段位の認定が行われるようになり、本因坊秀哉名人引退後は、九段と名人の地位は別のものと定められた。, 本因坊秀哉名人引退後、本因坊の名跡は本因坊戦に継承されていたが、名人の地位については決まりがついていないままであり、大手合による九段昇段者が出たことでもその意味を明確化する必要性があった。, 将棋界では名人戦が創設されて人気を博しており、当然囲碁においても同様の形式が期待されてもいた(1934年、東京日日新聞主筆の阿部眞之助が囲碁及び将棋の「実力名人戦」を企画し、1935年に将棋の名人戦が開始したが、囲碁は本因坊秀哉の意向もあり本因坊戦とされ1939年に開始した[6])。これは坂口安吾の論評「碁にも名人戦つくれ」(1949年毎日新聞大阪版)にも現われている。, 日本棋院では1949年の「日本棋院囲碁規約」に「名人規定」を盛り込んだ(①本因坊経験者、②段位九段、③七段以上と18局打ち平均65点以上、という3条件を満たしたものが、さらに「名人選考委員会」にて合格したものを推挙するとされた[7])が、具体的な棋戦などは定めず、実際に当時の第一人者と目される読売新聞嘱託の呉清源を加えた棋戦の実現は難しい状況でもあった。, 1951年、朝日新聞は呉清源、藤沢庫之助、橋本宇太郎、木谷實による四強争覇戦を企画したが、立ち消えとなる。1952年に朝日は大手合を発展させて将棋と同様の順位戦制度による名人戦を企画、呉清源にも出場の承諾を得て、契約金1千万円を提示した。日本棋院では渉外担当理事の高川格がこの推進役だったが、木谷實の「名人は作るものではなく、自然に生まれるまで待つべきもの」といった反対論も根強かった。棋士全員による評議委員会では1票差で賛成多数となったが、僅差であることを懸念した高川が理事長の三好英之と相談の上でこれを撤回し、高川ら賛成派理事は辞任した。また朝日側の根回し不足から、関西棋院も不参加を表明。朝日はついに断念し、朝日・毎日・読売の新聞三社と日本棋院で、名人戦の呼称は使用しないことなどを申し合わせた。朝日はこの代わりとして1953年から最高位戦を開始した。一方で、1956年まで呉清源の十番碁を開催していた読売新聞社も1957年に「実力名人を決める」と謳った日本最強決定戦を開始した。, その後日本棋院では、物価上昇に比べて棋戦契約金が増えず、また棋士の増加もあって財政難となりつつあった。1960年に渉外担当理事となった藤沢秀行は、この解決策として名人戦創設を計画する。藤沢はこの年の本因坊戦の挑戦者となるが、対局料が1局6万円という安さだったのもその意識に拍車をかけた。当初朝日新聞に提案したが交渉はうまくいかず、次いで読売新聞と交渉して契約金2500万円で話をまとめ、棋士総会でも70対4の圧倒的多数で承認された。こうして関西棋院所属棋士や呉清源も参加する名人戦が読売新聞の主催で創設された。しかし朝日新聞はこれを機に大手合、最高位決定戦のスポンサーを降りることとなった。, 名人戦スタート当初には橋本宇太郎らの「十番碁の覇者である呉清源を初代名人に推戴して始めるべきだ」との声もあったが、結局呉清源を含めた当時のトップ棋士13名による大型リーグ戦で第1期名人戦を開催することとなった。1961年から1962年にかけて行われたリーグ戦では、最終戦で藤沢秀行(9勝2敗)・呉清源(8勝3敗)・坂田栄男(8勝3敗)の三者による優勝争いとなった。藤沢は最終局橋本昌二に敗れて9勝3敗でリーグ戦を終了し、藤沢が「プレーオフに向けて英気を養うため」酒を飲みに行っている間に、坂田-呉戦(黒番坂田・白番呉)は終盤呉の猛追によりジゴでの終局となった(コミは5目であった)。名人戦の規定ではジゴは白勝ちとしていたが、通常の勝ちより劣ると定められていたため、9勝3敗の同率でありながら藤沢が呉を「半星」上回る形で初代名人になった。藤沢は渉外担当として名人戦設立に当たり、自ら名人位を手中にするというドラマチックな幕切れであった。, 第2期名人戦では、坂田栄男本因坊が藤沢秀行を破り、名人本因坊の称号を手にする。この時最終第7局での120手目のノゾキは「天来の妙手」と呼ばれ、名人位の行方を決定づけた一着として有名である。坂田は第3期も防衛の後、1965年第4期には23歳の林海峰が挑戦者となる。予想は当時全盛の坂田が圧倒的に有利であり、坂田は七番勝負1局目に勝った後、「20代の名人などありえない」との発言も出た。しかし林はその後盛り返して4勝2敗で名人位となり、一大センセーションとなった。林は1968年に本因坊位も奪って名人本因坊となり、坂田一強時代はここに終焉した。, 続く1968年の名人戦では53歳の高川格が林から名人を奪い「不死鳥」と呼ばれる。1973年には石田芳夫本因坊が林に挑戦し、3連勝と一気に林を土俵際に追い込んだ。しかし第4局、林は驚異の粘りでジゴ勝ちに持ち込むと、あと3番を制して防衛。3連敗4連勝は七番勝負史上初であった。しかし翌年は石田の再挑戦に敗れ、石田が名人本因坊となる。この間林は連続10期名人戦七番勝負の舞台に登場し、挑戦した時は全て奪取を果たすなど「名人戦男」の名をほしいままにした。旧名人戦最後の第14期には石田の兄弟子・大竹英雄が挑戦者として登場、タイトルを奪取した。, 一方で、名人戦の契約金は高度成長期にあって1970年まで変わらず、74年でも2750万円に留まっていた。日本棋院はこの状況を打破するため、1974年12月3日に読売新聞に対して名人戦契約を第14期で打ち切ると通告、次いで12月12日に朝日新聞と1億円の契約金で第15期以降の仮契約を交わす。, これに対し読売新聞は、朝日以上の契約金で日本棋院に再交渉する。日本棋院では当初は朝日移管に対して棋士180人中反対者2人のみだったが、読売支持も増え始めて混乱し、理事会は総辞職する。しかし選挙による新理事選出では朝日派8人、読売派3人となった。読売は1975年7月26日に名人戦の契約を求める仮処分を申請、8月21日に本訴訟を起こす。また読売及び、朝日を除く各マスコミでは、日本棋院を批判する論調であった。しかし裁判は日本棋院有利に進み、12月10日に日本棋院顧問の岡田儀一による斡旋案「名人戦は朝日と契約」「読売は序列第一位の新棋戦、最高棋士決定戦・棋聖戦を新たに契約」(岡田私案)により、読売と日本棋院は和解することとなった。この一連の経緯は「名人戦騒動」と呼ばれている。この騒動は、当時朝日と契約していた将棋の名人戦の契約金問題(囲碁同様長く契約金が据え置かれていた)にも波及している。, 朝日新聞主催となった新名人戦で、当初活躍したのは大竹英雄であった。林海峰との戦いは「チクリンの名勝負」と呼ばれ、ファンを湧かせた。大竹は旧名人戦14期から6期連続で七番勝負に出場、「名人戦男」と呼ばれることになった。, その大竹から名人位を奪ったのは弟弟子・趙治勲であった。趙は第6期(1980年)、24歳の若さで名人を奪取し、祖国韓国で囲碁ブームが巻き起こるきっかけを作った。1983年には棋聖・本因坊と合わせ、史上初の大三冠を達成する。1984年の第9期、趙は大竹英雄に3連敗後4連勝して前人未到の名人5連覇を果たし、初めて名誉名人の資格を得る。しかし6連覇がかかった1985年・第10期に小林光一が悲願の名人奪取。ここから趙・小林の角逐時代が本格的に幕を開けた。, 1986年の第11期には、加藤正夫が1981年以来二度目の挑戦にして初の名人奪取。翌年も林海峰相手に防衛を果たし、七大タイトルのうち四冠を制する。しかし1988年、小林が再び名人奪取。ここから小林の長期政権が始まる。中でも1992年第17期の、兄弟子大竹英雄を挑戦者に迎えての第7局では、終盤まで劣勢であった小林がヨセでワリコミの妙手を放ち逆転に成功。この一局は名人戦史上に残る名勝負といわれる。これを含め、大竹は趙・小林に計6度挑戦を果たしているが、奪取は果たせなかった。, 1995年の第20期、小林の8連覇を阻んだのは、かつて石田・加藤とともに「木谷三羽烏」と呼ばれながら、名人戦に縁のなかった武宮正樹であった。この第5局、武宮は攻め合い負けと見えた石を第一線マガリの妙手で逆転。小林は局後に「恐ろしいものを見た」と何度もうめいたといわれる。この局も名人戦史上に残る一番として名高い。, しかし翌年には天敵・趙治勲が12年ぶりに名人戦の舞台に登場、4-2で武宮を降して名人復帰を果たした。趙は以後4連覇、再度の大三冠も達成し、第一人者の貫禄を見せつけた。, 2000年の第25期には、依田紀基が二度目の挑戦で趙を4-0で下し、タイトルを奪取した。これにより名人位は、23年ぶりに木谷一門の手から離れることとなった。依田は趙の2度にわたるリターンマッチ、史上最年長での挑戦となった林海峰などを撃破し、4連覇を果たす。, 2004年、挑戦者として張栩が登場。依田を下し、24歳の若さで史上5人目の名人本因坊の地位に就いた。さらに2006年には高尾紳路がリーグ初参加初挑戦(史上初)。このシリーズ第4局はコウ争いに次ぐコウ争いとなり、364手という激闘となった。これを制した高尾はその勢いのまま名人を奪取し、史上6人目の名人本因坊となる。しかし翌年には張栩がすかさずこれを奪回、2008年には史上最年少19歳で名人戦挑戦者となった井山裕太を迎え撃ち、4-3で防衛。翌年には名人含め、現行七大タイトル史上初の五冠を達成した。, しかし2009年、井山裕太はリーグ戦を8戦全勝で勝ち上がり、前年に続き挑戦権を獲得。その勢いのまま4-1で張栩を撃破、史上最年少で名人の座に就いた。なお、20歳4ヶ月での獲得は、7大タイトル戦でのタイトル獲得の最年少記録でもある(その後、芝野虎丸に記録を破られる)。井山は翌年も高尾紳路の挑戦を4-0のストレートで退け、若き実力者として君臨した。, 2011年、山下敬吾が8年ぶりに七番勝負に登場。井山を4-2で破って初の名人位を獲得するとともに、史上7人目の名人本因坊となった。翌2012年は、井山とのプレーオフを制して羽根直樹が名人初挑戦を果たしたが、フルセットの末に山下が防衛を決めた。, 2013年の第38期には井山裕太が挑戦者として再登場、4-1で山下を降し、36期の雪辱を果たした。翌2014年には、七番勝負初登場となった河野臨が挑戦者となるが、井山は4-2のスコアで勝利、2連覇となった。2015年にも井山は高尾紳路をストレートで降し、その勢いのままに2016年には史上初の七冠独占を果たす。しかしこの年の第42期名人戦では、高尾が4-3で名人位を奪取して、井山のタイトル独占を切り崩してみせた。, 2017年、井山は高尾に奪われた名人以外のタイトルを全て防衛し、名人リーグも8戦全勝で勝ち上がって挑戦権を獲得。七番勝負では高尾を4-1で降し、再度七冠王に君臨した。これらの功績により、井山は2018年に囲碁界では初となる国民栄誉賞を受賞した。, 無敵とも見えた井山だが、2018年の第43期には張栩が1勝3敗から後を3連勝し、10年ぶりの名人奪回を果たした。, 2019年の第44期では初挑戦の芝野虎丸が4勝1敗で張をくだし、七大タイトル史上最年少での名人位を獲得(19歳11ヶ月)した。, 1961年より読売新聞主催で始まり、1976年からは朝日新聞社主催で開催されている。, 読売新聞時代の名人戦は「旧名人戦」と呼んで区別されている。現行の名人戦は移管後新たに「第1期」からカウントしているが、旧名人戦最後のタイトル者大竹英雄は移行時にもその地位は持ち越され、現行名人戦の第1期に挑戦者を迎えることとなった。, なお、「名人」を冠した棋戦はほかにもあり、日本には十段戦の前身となった早碁名人戦、女流棋戦の女流名人戦などがある。また、韓国、中国、台湾にも同名の棋戦がある。, 9人が参加するリーグ戦を行い、一位になった者がタイトル保持者と挑戦手合七番勝負を行い、優勝者を決める。七番勝負は例年9月から11月にかけて、持ち時間8時間・2日制で、全国の高級ホテル・旅館を舞台として開催される。, リーグは予選トーナメント勝ち抜き者3名、前期からの残留者5名、七番勝負敗者1名から成る。名人リーグは棋聖・本因坊リーグと並んで「黄金の椅子」とも呼ばれ、この3大リーグに参加することが一流棋士の証とされている。六段以下の棋士が名人リーグ入りを果たした場合、七段に昇段する。またリーグに優勝して挑戦権獲得が決まったら八段に、さらに名人位を奪取した場合九段へ昇段する。, 名人を5連覇、または通算10期以上獲得した棋士は、引退後または60歳以降に「名誉名人」となる資格を得る。, 2019年現在、名誉名人の称号を持つのは趙治勲・小林光一の2人で、小林は60歳を迎えた2012年より、趙は2016年よりそれぞれこの称号を名乗っている。, 終身名人制は江戸時代から本因坊秀哉の引退まで続けられた。ただし、安井算知は生前の1675年に名人を返上している。, また、将棋とくらべると名人空位の期間が多く(名人空位の期間は本因坊家が碁将棋家のとりまとめをしていた)、そのため、終身名人の人数も少なくなっている。さらに、将棋の場合は「〇〇世名人」と、終身名人になった代数で呼ばれることが多いが、囲碁の場合は終身名人の代数で呼ばれることは少ない。, 1976年以降の名人リーグ。順位は前年リーグ成績が反映された序列(前回のタイトル保持者or挑戦者が1位)。6位までが前回のリーグ残留者。7位3人は予選トーナメント勝者。名人位は前期の名人獲得者。, 名人戦が読売から朝日に移った1976年に、朝日新聞は臨時棋戦として八強争覇戦を開催した。出場棋士は、前期名人・王座の大竹英雄、本因坊石田芳夫、十段林海峰、天元藤沢秀行、NHK杯坂田栄男、早碁選手権橋本昌二、プロ十傑戦趙治勲のタイトル保持者、及び橋本宇太郎の8名で、トーナメント戦形式で行い、決勝は三番勝負。当時19歳で、前年に最年少タイトル獲得をしていた趙治勲が優勝した。, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=名人_(囲碁)&oldid=80132128, 囲碁名人戦全記録 第1期 (大竹英雄,名人位に) 朝日新聞東京本社学芸部 編 朝日ソノラマ 1977, 囲碁名人戦 第7期 (趙治勲名人対大竹英雄九段) 朝日新聞社東京本社学芸部 編 朝日ソノラマ 1983, 囲碁名人戦全記録 第8期 (名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦) 朝日新聞学芸部 編 朝日新聞社 1984, 囲碁名人戦全記録 第9期 (名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦) 朝日新聞学芸部 編 朝日新聞社 1985, 囲碁名人戦全記録 第10期 (名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦) 朝日新聞学芸部 編 朝日新聞社 1986, 第十七期囲碁名人戦第三局開催記念中遠支部二十年のあゆみ記念誌 日本棋院中遠支部 編 日本棋院中遠支部 1993, 囲碁名人戦全記録 第20期 (名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦) 朝日新聞学芸部 編 朝日新聞社 1996, 囲碁名人戦全記録 第21期 (名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦) 朝日新聞学芸部 編 朝日新聞社 1997, 囲碁名人戦全記録 第22期 (名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦) 朝日新聞学芸部 編 朝日新聞社 1998, 囲碁名人戦全記録 第23期 (名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦) 朝日新聞学芸部 編 朝日新聞社 1999, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦 第24期 朝日新聞学芸部 編 朝日新聞社 2000, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦 第25期 朝日新聞学芸部 編 朝日新聞社 2001, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦 第26期 朝日新聞学芸部 編 朝日新聞社 2002, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦 第27期 朝日新聞学芸部 編 朝日新聞社 2003, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦 第28期 朝日新聞学芸部 編 朝日新聞社 2004, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦 第29期 朝日新聞文化部 編 朝日新聞社 2005, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦 第30期 朝日新聞文化部 編 朝日新聞社 2006, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦 第31期 朝日新聞文化グループ 編 朝日新聞社 2007, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負・挑戦者決定リーグ戦 第32期 朝日新聞文化グループ 編 朝日新聞社 2008, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負 : 挑戦者決定リーグ戦 第33期 朝日新聞文化グループ 編 朝日新聞出版 2009, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負 : 挑戦者決定リーグ戦 第34期 朝日新聞文化グループ 編 朝日新聞出版 2010, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負 : 挑戦者決定リーグ戦 第35期 朝日新聞文化グループ 編 朝日新聞社 2011, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負 : 挑戦者決定リーグ戦 第36期 朝日新聞文化くらし報道部 編 朝日新聞社 2012, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負 挑戦者決定リーグ戦 第37期 朝日新聞文化くらし報道部 編 朝日新聞社 2013, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負 挑戦者決定リーグ戦 第38期 朝日新聞文化くらし報道部 編 朝日新聞社 2014, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負 挑戦者決定リーグ戦 第39期 朝日新聞文化くらし報道部 編 朝日新聞社 2015, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負 挑戦者決定リーグ戦 第40期 朝日新聞文化くらし報道部 編 朝日新聞社 2016, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負 挑戦者決定リーグ戦 第41期 朝日新聞文化くらし報道部 編 朝日新聞社 2017, 囲碁名人戦全記録 : 名人位決定七番勝負 挑戦者決定リーグ戦 第42期 朝日新聞文化くらし報道部 編 朝日新聞社 2018. 持ち時間: 8時間, 本因坊戦第3局目も本因坊文裕の勝利。これで開幕3連勝で防衛に王手です。本因坊文裕、絶好調ですね~。7冠だったころを思い出すほどですよ。コロナの待期期間が本因坊文裕にとってプラスに働いたってことなのかもしれませんね~。, グラフは50%より下に行っているので『白の本因坊文裕が優勢』ってことです。1日目なのに『白優勢80%』ってなってますね。圧勝の雰囲気じゃないですか。私的には黒の方が良いようにみえなくもないのですが・・・・・。, 芝野名人、苦しい・・・苦しすぎる・・・。タイトル戦という大舞台でこんなに負け続けたら辛いでしょうね~。本因坊文裕に対して苦手意識が生まれかねません。第4局目、何とか一矢報いてほしいものです。, 対局日 : 6月13日(土)・14日(日) 創設年  : 1939年, ※5月18日時点では第6局目と第7局目の日程が発表されていません。おそらく、日本棋院で行う予定だと思うのですが、まだ東京は非常事態宣言の解除がなされていないため『未定』になっているものと思われます。, ※福岡の北九州市で感染者数が拡大していたため、第2局目の『北九州でのタイトル戦』は『日本棋院東京本部』へと変更になりました。6月12日時点では北九州市での感染者数は落ち着いてきています。北九州市でのタイトル戦は第6局目に回されていますが、まだハッキリとは決まっていないようです。, 『芝野名人』と『許八段』が6勝1敗で並びプレーオフです。果たしてどちらが挑戦権を獲得するか!? プレーオフは4月6日(月)に行われます。, 『5勝1敗』の『芝野名人』と『許八段』の2人に絞られましたね。次の対局相手のことを考えると、若干芝野名人の方が有利かなという気がします。, もし2人とも勝てばプレーオフです。ま~プレーオフの可能性の方が高いように思えますね。, 次回は『一力八段VS許八段』の対局。これでどちらかが脱落です。芝野名人の相手は絶不調の山下九段です。, 『3勝1敗』が4人と並びました。残り3戦、わからなくなってきましたね~。この中で『芝野名人』だけがライバルの3人との対局を終わらせています。その点、若干有利かなという気がしますね。, 全勝は『許八段』だけとなりました。とは言え2勝1敗が『芝野名人』『羽根碁聖』『志田八段』『一力八段』と4人もいます。全敗の山下九段と横塚七段は脱落でしょうね~。, 2連勝と2連敗に別れてしまいました。7局しかありませんし、この4人に絞られましたね。12月は全勝同士の『芝野名人VS羽根碁聖』となります。ある意味、頂上決戦です。個人的には芝野名人か許八段のどちらかが挑戦権を獲得しそうな気がします。, 芝野名人、強いですね~。この2ヶ月間での芝野名人の成績は『15勝1敗』ですよ。外国勢に絞れば『3勝1敗』です。つまり、日本人相手に11連勝中ってことです。これは芝野名人の時代が来るかもしれませんね~。, 注目は史上最年少で七大タイトルを獲得した芝野名人ですかね~。一力八段は井山四冠が最強だった時代に挑戦してしまってはじき返されてしまいましたからね~。今なら十分チャンスはありますよ。, 横塚七段はプロ4年程度でリーグ戦に上がってきました。今後期待できる棋士だと思います。. 対局日 : 2019年10月7日(月)8日(火) 対局場 : 静岡県熱海市「あたみ石亭」 持ち時間: 8時間 白番 : 芝野虎丸(八段) 黒番 : 張栩(名人) ◆タイトル戦日程表◆ http://netdays365.com/archives/4326 ◆動画生中継や棋譜の視聴方法まとめ◆ http://netdays365.com/archives/4299 対局結果: 白番、芝野八段の中押し勝ち 芝野八段が勝利し、4勝1敗で名人を獲得しました。19歳で七大タイトルを獲得したのは史上初の快挙だそうです。芝野八段 … 2019囲碁【第44期 名人戦】日程と結果速報、動... 2018年12月17日 に投稿された; 囲碁のタイトル賞金額!ランキング1位の井山裕太の年... 2017年8月2日 に投稿された; 2019囲碁【第43期 棋聖戦】日程と結果速報!山... 2018年4月12日 に投稿された 対局場 : 日本棋院東京本部 名人(めいじん)は、優れた技能を持つ棋士に対する敬称。 江戸時代から昭和初期にかけては名人は天下に1人と定められていた。 現代では、囲碁の棋戦の一つである名人戦に優勝した棋士に贈られるタイトルとなっている。 対局場 : 静岡県河津町「今井荘」 Amazonで朝日新聞文化くらし報道部の第44期 囲碁名人戦全記録。アマゾンならポイント還元本が多数。朝日新聞文化くらし報道部作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。また第44期 囲碁名人戦全記録もアマゾン配送商品なら通常配送無料。 第44期名人戦 (主催: 朝日新聞社 ― 朝日新聞囲碁ニュース ― ) 張栩名人 対 芝野虎丸八段 七番勝負 9年ぶりの復位を果たした張栩に挑むのは、芝野虎丸。 初の10代の名人誕生なるかに注目が集まる。 2020年度の本因坊戦は、本因坊文裕が4勝1敗でタイトルを防衛しました。これで本因坊9連覇となります。, そして超治勲名誉名人が成し遂げた『10連覇』に王手ですね~。もし来年成し遂げれば『二十六世本因坊』を名乗ることができるってことですか。いや~、今から来年が楽しみですよ。, 今回の本因坊戦は事実上の『囲碁界最強決定戦』のようなものだったと思います。結果は本因坊文裕の圧勝って感じでしたね。まだまだ井山最強時代は続きそうです。, 対局日 : 7月8日(水)・9日(木) 対局場 : 兵庫県宝塚市「宝塚ホテル」 第44期名人戦七番勝負第5局 観戦記. 賞金   : 2800万円 対局場 : 山梨県甲府市「常磐ホテル」 Kindle 端末は必要ありません。無料 Kindle アプリのいずれかをダウンロードすると、スマートフォン、タブレットPCで Kindle 本をお読みいただけます。, 初の10代名人誕生がかかった七番勝負。張栩名人が迎え撃つのは19歳の芝野虎丸八段。リーグ戦プレーオフを制して初めての2日制に挑む挑戦者と、円熟の名人の熱戦は、第2局から一気の4連勝で芝野がタイトル奪取。最年少名人の誕生となった。記者会見やインタビューで不思議な魅力全開だった新名人の様子も、改めて楽しめる内容となっている。台北対局や前夜祭など、各局を写真でも紹介。リーグ戦全局書き下ろし掲載。ファン垂涎、充実の一冊。, 囲碁ライバル物語 ~木谷門、平成四天王、井山一強に挑む新世代~ (囲碁人ブックス), 2020 囲碁年鑑 2020年 06 月号 [雑誌]: 月刊碁ワールド増 2020 囲碁年鑑 増刊, 全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。, さらに、映画もTV番組も見放題。200万曲が聴き放題 http://netdays365.com/archives/4299, 本因坊戦第5局目は本因坊文裕が勝利し4勝1敗。これで本因坊文裕の防衛となりました。これで本因坊文裕は本因坊戦を『9連覇』となります。来年、大台の10連覇に挑戦です。, どうやら、黒が『水色』の地点に打てばまだまだ形成は五分五分だと囲碁AIは判断しているようです。良い打ち方があるのでしょう。, う~ん、70手目前後で芝野名人にもどうにかできるチャンスがあったようですが、それを生かすことができなかったようです。なかなか難しいところだったのでしょう。, 対局日 : 6月30日(火)・7月1日(水) 持ち時間: 8時間, コロナの影響で延期になっていた本因坊戦がやっと始まりました。第一局目は本因坊文裕が勝利です。コミを含めて15~20目ほど白が良いみたいですね~。, 画像のグラフは『50』より上に行っていれば黒が良く、下に行っていれば白が良いってことです。70手目くらいからほとんど下に行ってます。白の本因坊文裕が中盤以降はずっと優勢だったってことです。, 次の第2局目は6月13日(土)。場所は福岡の北九州市。・・・・・北九州市? 最近コロナのクラスターで話題になっている場所です。う~ん・・・・・大丈夫でしょうかね~・・・・・。, 主催   : 毎日新聞 挑戦手合い: 7番勝負 井山裕太名人に張栩九段が挑戦する第43期囲碁名人戦七番勝負の記念扇子。 井山名人の揮毫は「無」、張挑戦者は「志」。 販売価格:2100円(税込み) 持ち時間: 8時間, 本因坊戦第4局目は芝野名人の勝利。これで通算成績は『本因坊文裕が3勝』『芝野名人が1勝』となりました。, 『黒が70~80%良し』になってます。本因坊文裕の優勢です。とは言え、若干白が巻き返してきているようですからまだまだ芝野名人にもチャンスはある、かも?, いや~、中盤までは本因坊文裕の優勢だったのですが、終盤にカクンと落ちちゃいましたね。ここに来て芝野名人が意地を見せてきたってところでしょうか。, 個人的には本因坊戦がストレートで終わらなくて良かったと思ってます。後1~2回ほど芝野名人が勝ってくれると面白いのですが。, 対局日 : 6月22日(月)・23日(火) 張 栩 名人 - 芝野 虎丸 挑戦者. 持ち時間: 8時間, 囲碁AIはほとんど『50以上』の評価になっていますので、ずっと黒が優勢だったってことになります。, う~ん、芝野名人どうしたんでしょうね~。第1局目も、第2局目もいいところが無いように感じます。コロナが悪い方向に影響したのかな? 対して本因坊文裕は名人戦のリーグ戦で5連勝しており挑戦権を獲得する可能性が高まっています。, なお、第2局目の対局場はコロナの影響で北九州市から『日本棋院東京本部』に変更となっていました。日本棋院の『幽玄の間』でも発表されていましたが、三大タイトル戦が日本棋院で行われるのは45年ぶりだそうです。, 対局日 : 6月2日(火)・3日(水) Copyright (C) 2020 囲碁ブログ『日々ネット』 All Rights Reserved. 新名人誕生の譜. 32名もしくは33名によるトーナメント戦: 持ち時間: 決勝、本戦:3時間: 秒読み: 決勝、本戦:5分前: コミ: 6目半: 出場資格: 予選開催年の8月1日時点で25歳以下、六段以下。ただし、新人王のタイトル獲得は1回限り(第32期より) 残留・シード規定 持ち時間 : 8時間、秒読み10分 ップ, 大和証券杯ネット囲碁オープン, 大和証券杯ネット囲碁レディース, 32名もしくは33名によるトーナメント戦, 予選開催年の8月1日時点で25歳以下、六段以下。ただし、新人王のタイトル獲得は1回限り(第32期より), 前期決勝敗者(出場資格を満たす場合)、賞金ランキング上位16名, 持時間各3時間、秒読み残り5分前より, 秒ヨミ 残り5分より(秒読み時計使用), 持時間各3時間、秒ヨミ残り5分より. 2019年11月25日

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