谷川浩司 引退

谷川浩司 Koji Tanigawa九段(十七世名人※襲位は原則引退後) ... ※出典:谷川浩司著 光速の寄せより . ベストの将棋もあれば、不出来な将棋もありますが、その確率が落ちているのが現状。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 今回は谷川浩司九段の学歴や成績についてと兄や嫁や子供についても調査してきましたがいかがでしょうか?. All Rights Reserved. All Right Reserved. 【棋譜はこちら・30日間無料】https://t.co/4QMNx49eP8, 今回は 藤井聡太七段に敗退してしまいましたが、もともとは藤井聡太のあこがれの存在であった谷川浩司九段です。, だいたい棋士の卵たちは、小・中学生のころから奨励会に所属して棋士をめざしているので、, 羽生善治三冠は16歳で順位戦なので、谷川九段はさらに早く順位戦に参加しているということになる!. (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); なんでもない棋士なら、誰が降級しようが引退しようが、少なくとも世間は何も言いません。, しかし、将棋史に名を残すほどの大棋士になると、ズルズルと衰えながら指し続けることを世間は許してはくれません。, 将棋界が実力制に移行して初の永世名人である木村義雄十四世名人は、47歳で名人を失冠した際に潔く引退しました。, その跡を引き継ぐ形で第一人者として君臨した大山康晴十五世名人は、69歳で亡くなるまでA級に在籍し続けました。, 中原誠十六世名人も、B級1組で2期だけ指してフリークラスに転出し、半分引退した形になりました。, 通算タイトル獲得27期は歴代4位、十七世名人の資格を有する谷川浩司九段についても、それは例外ではありません。, それはご自身も自覚しているようで、将棋世界Special「谷川浩司」にて、引退するときの基準を語っています。, このムックが出版されたのは2012年7月なので、当時はまだA級に在籍していましたが、その年の第71期A級順位戦は2勝7敗でした。, 順位がモノを言って紙一重の差でギリギリ助かった、という有様で、その翌年度も盛り返せずに降級しました。, - 谷川さんも今年50歳になりました。将棋の棋士としては後半戦です。 目標は難しいが、A級をずっと長く続けること。それにもう一度タイトル戦に出ること。 谷川さんの50代の目標はなんですか。また将来、現役を退くということに何か基準を持っていますか。, 谷川 正直言って、自分は40代後半から納得いく成績を挙げていない。 通算タイトル獲得27期は歴代4位、十七世名人の資格を有する谷川浩司九段についても、それは例外ではありません. Copyright © SPORTS NIPPON NEWSPAPERS. 阪神ファンの将棋棋士・谷川浩司九段(58)は藤川球児投手の今季限りでの引退表明に「コメントが出てこないくらい驚きました」と語った。, 速報はネットニュースで知り、まず思い出したのは「火の玉」と称されたストレート。自身にも「光速の寄せ」と呼ばれる必殺技があり、実戦で現れると両者、試合終了も同然の威力を誇った。「球速だけでは計り知れない伸び、ストレートだったと想像します」と苦笑いしながら分析した。 ?が注目された第77期C ... 2018年の将棋界は、「羽生善治竜王が通算100期を達成できるか?」が大きく注目 ... Copyright©  「原点でやり直してその後、また阪神で活躍された。自分のお考えをしっかり持っておられたからではないかと思います」。直接復帰するのではなく、身体を作り直してからとの判断に思慮を感じるそうだ。「ファンとしてはまだまだ長く続けてほしいが、最後まで応援したい」。甲子園球場で再び、9回アタマからマウンドに立つ姿を待ち望んでいた。, 虎党の有働由美子アナ、藤川の引退表明にショック「球児は引退しないと…」「生き方格好いい人」, 福田沙紀もオスカー退社をインスタで正式報告「本当に感謝しか」「これからもお芝居に真っすぐに」, 武井壮 池江璃花子の復帰レースに感動「彼女の人生に幸せなことばかりが降り注いで欲しい」, 谷川浩司九段 藤川引退表明に驚き、印象残る独立Lでのプレー「自分の考えを持っておられた」, “カープ妻”枡田絵理奈&畠山愛理がTV初共演!堂林の夏バテ防止は大葉&みょうが、誠也はワンプレートに, サンド富澤「夢が1つ叶いました!」、自身考案の超人が「キン肉マン」の「超人募集」に選出, GACKT「僕も結構頭が固い方なんだな」大作洋画から刺激「義経秘伝」の映画化にも意欲, 中居正広「こういうヤツにはなりたくないなと思った」駐車場で見かけた若者の行動に怒り, LiLiCo 松葉杖でイベント出席「まだこの状態です。ちょっとだけ回復しましたけれども」, 新木優子 幼く見える“前髪ぱっつん”にファン「国宝級にかわいい」「新鮮すぎて言葉失う」, 永野芽郁 久々の“足出しファッション”披露「スースーしたけどうきうき」 ファン「足細すぎ」, マツコ “方言”にジェラシーも「武器に使っているヤツはいる」「プライドがデカいんじゃ…」, 「バチェラー3」共演女性ら、濱崎麻莉亜さん追悼 岩間恵さん「彼女の笑顔を何度も思い返す」, 辛坊治郎氏 安倍首相辞意の理由に「若干の疑いを持っている」、会食の際は「元気でした」とも, 米団治 阪神・藤川の引退表明に「抑え投手を育てる指導者として期待」、文枝「長い間ありがとう」, 剛力彩芽 オスカー退社、独立を発表「心より感謝…これからは自分自身で考え選択し挑戦を」, 安東弘樹アナ 「DAYS」最終回でしみじみも11月から新番組「準備を着々と進めております」, 「THE FIRST TAKE」ラジオでレギュラー化、「OKAMOTO’S」オカモトショウが初回ナビ, 安藤優子氏 自民党総裁選が両院議員総会の場合「石破潰しじゃないかとまで言われてる訳ですよ」, ポスト安倍首相めぐり 野々村友紀子氏「マリオが似合うのは河野さん」坂上忍は「石破さんも」, 「半沢直樹」“鉄の女”西田尚美 リアルタイムで観賞し「見ながらとても緊張してしまいました」, YOU 人生初ストレスは「ダウンタウンさん」 共演ラジオで2カ月話振られず「血尿が出ました」, フジ上席解説委員にも文春直撃 平井文夫氏「昨日僕んとこにも来ました」坂上忍「刺客! 2014年1月7日に行われた第72期A級順位戦7回戦で敗れ、谷川浩司九段のA級陥落が決定した際、その去就が注目されました。, その後行われた記者会見で、B級1組で指すことを発表しましたが、当時谷川九段は51歳でした。, 会社員の定年が65歳になったこの御時世、まだまだ引退するような年齢ではありません。, にも関わらず、その進退が世の関心を引いた理由は、谷川九段が将棋史に名を残す大棋士だからです。. 谷川浩司九段は歴代単独3位となる公式戦で通算1325勝の大記録がかかる大事な勝負でした!, 谷川浩司九段もかつては史上最年少の21歳で名人になったレジェンドと言われる存在です!, #王将戦 2次予選決勝で #藤井聡太 七段が 「あこがれの」#谷川浩司 九段を降し、初のリーグ進出を決めました。 谷川 浩司九段といえば、光速の寄せ。 他の棋士が思いつかない手順で一気に相手玉を寄せることから. アーカイブス2020年11月号は「田中将大 伝説の24連勝、楽天 球団初の日本一」. 日本将棋連盟 棋士会会長(初代、2009年4月 - 2011年3月) 、日本将棋連盟専務理事(2011年5月 - 2012年12月)を務め、日本将棋連盟会長(2012年12月 - 2017年1月)を務めた。 谷川浩司九段は歴代単独3位となる公式戦で通算1325勝の大記録がかかる大事な勝負でした! しかし、結果は敗退。 藤井聡太七段ばかりにスポットが浴びていますが. Sponichi Annexに掲載の記事・写真・カット等の転載を禁じます。すべての著作権はスポーツニッポン新聞社と情報提供者に帰属します。. 引退に関しては、自分が主役になる可能性がなくなったときだと思っています。, B級1組で指して今期で3期目ですが、昇級に絡むほどには勝てず、むしろ今年度は降級争いのトップを走っている始末。, しかし、谷川九段は、引退は「自分が主役になる可能性がなくなったとき」だとおっしゃっています。, つまり、現役を続けているということは、「まだ自分が主役になれる可能性があると思っている」ということ。, 50代半ばでA級やタイトル保持者として返り咲くのは至難のワザですが、前例がないわけではありません。. Kindle. 14日に行われた第33期竜王戦6組昇級者決定戦で、土佐浩司八段は門倉啓太五段に敗れ、フリークラス規定で引退となった。土佐八段は1976年2月、四段昇段。1976年度は名人戦の契約金問題で順位戦が休止になったが、土佐四段はそのうっぷんを第16期十段戦で晴らした。予選をどんどん勝ち進み、1977年4月、決勝で原田泰夫八段に勝ち、四段で初のリーグ入りを果たした。  印象的だったのが 米大リーグから阪神に復帰するまで故郷・独立リーグの四国アイランドリーグplus高知でプレーしたことという。 『引用:将棋世界Special「谷川浩司」(P.38)より』 将棋世界Special「谷川浩司」 ~光速と呼ばれた男~ (マイナビムック) posted with ヨメレバ. 将棋世界編集部ほか マイナビ 2012-07-30. タイトル通算獲得数は歴代4位。 十七世名人の資格 を保持。. ?」, 岡田将生&志尊淳W主演映画「さんかく窓の外側は夜」公開延期、平手友梨奈「楽しみに待って」, 坂上忍 安倍首相の辞任表明に「辞任はしないだろうと思ってたんで本当にビックリしたんですけど」, 坂上忍「初めて文春さんに直撃を受けました」 フジ榎並アナも「奇遇なんですけど僕も」, 氷川きよし “名付け親”たけしと志村けんさんへの感謝「そのご恩は一生忘れられない」, 松丸亮吾 “負けず嫌い”兄・DaiGoからの連絡は「必ず最後に余計な一言がついてる」, 草刈民代、ピアノ練習が嫌で…「すごいことひらめいた」バレエ習うための秘策は“突き指”, 綾野剛&星野源W主演「MIU404」第10話11・3% 10週連続2桁キープで最終回へ, 「いきなりマリッジ」出演のSADA、濱崎麻莉亜さん訃報に「何故この様になってしまったのか…」, 石橋貴明 20年ぶりNHKで「帝京魂」さく裂 YouTubeとの違い実感「映像があって楽」, 「半沢直樹」第7話24・7% 7週連続大台超え!裏番組初のオール1桁“日9独占”個人視聴率は番組最高, 「半沢直樹」次回第8話 山田純大“タブレット福山”7年ぶり登場!浅野和之、みのすけ、山本亨も参戦, 「半沢直樹」“鉄の女”西田尚美の小さなガッツポーズにネット涙も「心震えた」「バンカーの意地」, 「半沢直樹」次回第8話 黒崎3度目の襲来!部下役・宮野真守の“急所”危ない?片岡愛之助“当たり役”, LiSA 「炎仕様」スタイル&フルバージョンにファン絶賛 「ブーツも可愛い」「似合っていて素敵」, “無惨”GACKT 今度は映画「鬼滅の刃」主題歌「炎」アカペラ熱唱!絶賛の声に涙のファンも. とはいえ、大山十五世名人は50代で30台、40代のときより多くの勝ち星を上げた。 ※テレビ棋戦(NHK杯戦、早指し選手権)の対局日は不明。, 1992年度は6度のタイトル戦(うち、防衛戦が5つ)で「羽生世代」のうちの3人と対決する。, 前期・後期の棋聖戦・第60期棋聖戦(谷川3-1郷田)と第61期棋聖戦(谷川3-(持1)-0郷田)では、郷田真隆を相手に2度防衛する。しかし、第33期王位戦(谷川2-4郷田)では郷田に敗れて三冠(竜王・棋聖・王将)に後退するとともに、郷田の史上最低段タイトル獲得(四段)の記録達成を許してしまう。, 第42期王将戦(谷川4-0村山聖)では防衛に成功したものの、第18期棋王戦(谷川2-3羽生)ではフルセットの戦いの末、奪取に失敗する。, 1993年度前期の第62期棋聖戦(谷川1-3羽生)で失冠し、王将のみの一冠となる。これで、羽生とのタイトル戦で3連続敗退となり、この頃から羽生に対して苦手意識を持ったという[10]。第41期王座戦(谷川1-3羽生)では奪取失敗。, 同年度、第63期(1993年度後期)棋聖戦(谷川2-3羽生)は、羽生へのリターンマッチとなる。最初の2局で2連敗したが、この2敗目の一局(1993年12月24日)での羽生の指し方は、従来の将棋の常識からかけ離れたものであった。まず、序盤早々、18手目△4二角と引いて4四の歩のタダ取りを許し、さらには、谷川の玉に迫っていた7九の と金を9九の香車を取るだけのために2手をかけて、△8九と(56手目)- △9九と(64手目)と「退却」させた。売られた喧嘩を谷川が買う乱戦となったが、最後は羽生の勝ちとなった。しかし、この2連敗の後、千日手2回による日程繰り延べがあり、その後に2連勝という粘りを見せてフルセットの戦いに持ち込んだ。その2勝目(1994年1月31日)は、タイトル戦としては非常に珍しい49手という短手数で羽生を投了に追い込んだものである。しかし、最終局の矢倉戦で敗れて奪取に失敗した。, 第43期王将戦(谷川4-2中原)では、中原を相手に王将の一冠を死守した。一方、羽生は、この年度に佐藤康光に竜王位を獲られたものの、棋聖と王位を奪取して四冠となり、全冠制覇への道を歩んでいた。, 1994年度は、第64期棋聖戦(谷川1-3羽生)棋聖戦と第42期王座戦(谷川0-3羽生)で羽生に挑戦するが、いずれも敗退する。一方、羽生は、二大タイトルの名人、竜王をそれぞれ米長邦雄、佐藤康光から奪取して史上初の六冠王となり、残るタイトルは、谷川が持つ王将位だけという状況になった。そして、羽生は第44期王将リーグで5勝1敗で郷田と並び、プレーオフを制して、ついに全七冠制覇をかけて谷川王将に挑んでくる。, そして迎えた第44期王将戦(谷川4-3羽生)は、第1局(1995年1月12日 - 13日)の谷川の先勝で始まった。, ところが、その第1局と第2局(1月23日 - 24日)の間に谷川は、阪神・淡路大震災(1995年1月17日)で被災する。しかも、第2局より前の1月20日には米長邦雄とのA級順位戦があった。19日に妻の運転で神戸から大阪に脱出したが、13時間もかかったという[14]。それでも谷川は、対・米長戦で勝ち、羽生との王将戦第2局でも勝った。しかし、羽生も粘って3勝3敗とし、フルセットに持ち込んだ。, そして、青森県・奥入瀬で行われた最終第7局(1995年3月23日 - 3月24日)は相矢倉の将棋となったが、2日目に76手で千日手が成立し、その日のうちに指し直しとなった。指し直し局は、先手・後手が逆であるにもかかわらず、40手目まで千日手局と全く同じ手順で進み、「お互いの意思がピッタリ合った」[15]。41手目で初めて先手の谷川が手を変えた。結果、111手で先手・谷川の勝ちとなり、4勝3敗で王将を防衛。最後の砦として羽生の七冠独占を阻止した。この日は、将棋界の取材としては異例の数の報道陣が大挙して詰めかけていた。勝利したのが谷川であったのにもかかわらず、対局後にカメラやマイクが主に敗者である羽生善治に向けられたのも異例のことであった。後に谷川は、「震災がなかったら獲られていたかもしれない」と語っている。また、後年、インタビューにて「一度、七冠のチャンスは作れても、二度は無理だろうと思っていた。」とも語っている[10]。, 1995年度、羽生は開幕から名人、棋聖、王位、王座、竜王と全て防衛に成功し、さらに王将リーグも再び制覇して2年連続で谷川王将の挑戦者となる。, この第45期王将戦七番勝負(谷川0-4羽生)では、羽生が開幕から3連勝し、あっという間に谷川を追い詰める。, 山口県のマリンピアくろいで行われた第4局(1996年2月13日 - 2月14日)の戦形は、勝っても負けても大差の内容になりやすい「横歩取り」となり、谷川は先手番で中原囲いを組むという新構想を見せる。2日目の模様は、NHKの衛星テレビで放送され、時間枠は午前9時から終局まで(12:00 - 13:30は中断)という異例の長さであった。その中継会場(大盤解説)は大入りで、その熱気で解説役の森下卓、山田久美は汗だくだったという[16]。, 谷川にとって37手目が悔やまれる一手であった。2日目の15時半頃にはすでに羽生が勝勢。そして、もはや自玉に受けがなくなった谷川は、77、79手目の形作りの手で、首を差し出した。以下は易しい詰み。羽生が82手目△7八金と引いて王手をかけた手を見て、17時6分、ついに谷川は投了した。谷川にとっては屈辱の、七冠王誕生である。前年とは異なり4戦4敗であっけなくタイトルを渡す形となった。終局直後のインタビューでは「せっかく注目してもらったのに、ファンの方にも羽生さんにも申し訳ない」[16]と述べた。, 羽生に7冠目を献上した屈辱の後、1996年、第9期竜王ランキング戦1組の2位で本戦出場となった谷川は、挑戦者決定三番勝負で佐藤康光を2勝0敗で破り、羽生竜王へのリベンジの機会をつかみ取る。そして第9期竜王戦七番勝負(谷川4-1羽生)で羽生から竜王位を奪取する。この七番勝負第2局の終盤80手目で、谷川が△7七桂(右図参照)と打った手は、まさに「光速の寄せ」(の復活)と言われた。一見、ただで取られるだけのところに桂馬を放り込んだと言ってもよい。この手を境に羽生の玉はたちどころに寄り形となり、谷川の勝ちとなった。当時、NHK将棋講座で講師を務めていた中原誠は、番組の中で「今回の竜王戦は面白くなりましたね。7七桂という手が出ましてね。」とコメントした。, 谷川自身は当時のことを回顧し、「このような手が浮かぶのは理屈ではない。7七の地点が光って見えたと書いて、信じてもらえるだろうか。」と語っている[17]。, なお、直後の第46期王将戦(谷川0-4羽生)でも、王将リーグで村山聖との4勝2敗同士のプレーオフを制して羽生に挑戦したが、こちらでは敗退している。しかし、第55期A級順位戦では1敗後の8連勝で、羽生名人への挑戦を決める。, そして、年度が明けての1997年の第55期名人戦(谷川4-2羽生)で勝利を収め、前年獲得した竜王も含め、二大タイトル(竜王・名人)を独占する。また、この名人獲得は通算5期であり、規定により永世名人(十七世名人)の資格を得た。翌朝NHK総合テレビのニュースに出演した谷川は、「内容が良くなかった」「まだ‘谷川時代’を作っていない」と語った。, 名人戦と日程が並行した1997年4月 - 5月(棋戦としての年度は1996年度)の第15回全日本プロトーナメント決勝五番勝負(谷川3-2森下)では、森下卓を下して6度目の優勝をする。この決勝五番勝負では、谷川が後手番の2局において、先手・森下卓の相矢倉への誘いに谷川が応じず、後手急戦棒銀(原始棒銀)を見せて話題となった(その2局の勝敗結果は1勝1敗)。, 同年度は、第10期竜王戦(谷川4-0真田圭一)で竜王防衛も果たし、(タイトル獲得数は羽生の四冠より少ないものの)2つのビッグタイトルを独占した。これが評価され、最優秀棋士賞(5度目)を受賞。また、1997年(1 - 12月)の獲得賞金・対局料ランキングで1位(11762万円)となった[注 7]。ちなみに、2位は羽生善治の10182万円、3位は屋敷伸之の3555万円であった。1993年〜2018年の間に羽生以外の棋士が1位になったのは、この年と2013年と2017年だけである[注 8]。, 1998年度以降のタイトル戦は、羽生善治、佐藤康光、藤井猛、郷田真隆、丸山忠久、森内俊之といった羽生世代の棋士達ばかりを相手にしての戦いとなった。, 1998年度、第56期名人戦七番勝負(谷川3-4佐藤康)は、フルセットの戦いとなる。第6局までは、すべて先手を持った側が勝ちの展開で3勝3敗となった。谷川が先手で勝った3局は、すべて、谷川が得意とする角換わりの戦形を佐藤が受けて立ったものであった。最終第7局は、振り駒で谷川が先手を引き当てた。しかし、谷川は初手▲7六歩、2手目△8四歩の後、角換わりを目指す▲2六歩ではなく▲6八銀として矢倉を選択した。結果は佐藤が勝ち、「佐藤新名人」を誕生させてしまった。, 同年度、第11期竜王戦(谷川0-4藤井)は、4組からの挑戦者として勢いに乗る藤井猛との戦いとなった。藤井は、革新的な四間飛車戦法「藤井システム」の創始者として知られる。谷川は、第1局は穴熊を見せつつ玉頭戦を仕掛けて負け。第2局は相振り飛車にしたが負け。第3局と第4局は、自陣の囲いが堅いままでも絶望の局面、いわゆる「姿焼き」となって負け。結局ストレート負けで「藤井新竜王」を誕生させてしまい、自身は無冠となった。, 名人と竜王を失冠した谷川には、次期まで「前竜王・前名人」の肩書きを名乗る権利があった。しかし、本人の意向により、連盟から発表されたのは通常の「九段」の肩書きであった。, 1998年度のA級順位戦は、村山聖の休場(同年に死去)により9人でのリーグ戦となる。谷川は7戦全勝で迎えた最終第8回戦で島朗に敗れる。これにより島はA級に残留となり、代わりに弟弟子であり仲もよい井上慶太がA級から陥落した。7勝1敗同士の森内俊之とのプレーオフを制して佐藤康光名人へのリターンマッチの権利を得たものの、「井上君には申し訳なかった」と語った。, そして迎えた1999年度の佐藤康光との第57期名人戦(谷川3-4佐藤)は、最初の2局で連敗した。しかし、第3局と第5局で前年と同様、谷川得意の角換わりを佐藤が受けて立って谷川が勝つなどして3連勝し、奪還まであと1勝とした。次の第6局では佐藤が居飛車穴熊を用い、2日目の深夜まで続く長手数の将棋となった。ダイジェストを短時間で伝えるだけの予定だった深夜のNHK BS2の放送枠(1999年6月8日 23:40 - 24:00)は生中継と化した。司会の吉川精一アナウンサーは冒頭に「なお熱闘が続いています」を2度繰り返した。放送が始まった時は189手目で、谷川が佐藤の玉を詰ますことができるかどうかの難解な局面であったが、詰ますことができず、佐藤の203手目を見て23:54に谷川は投了した。そして、最終局も佐藤の勝ちとなり、谷川は名人を取り返すことができなかった。なお、このシリーズで谷川は、後手番の2局で、当時本格的に流行し始めた戦法・「横歩取り8五飛」を採用している。, この名人戦の直後、第70期棋聖戦(谷川3-0郷田)で郷田真隆から棋聖位を奪取し、「無冠」を返上する。このとき、テレビのインタビューで、「1つぐらいは…(タイトルを持っていないと)」と苦笑しながら語り、依然、第一人者となるべき身の自覚と向上心を示唆した。, 2000年度は、王位戦で2年連続挑戦するなどして、第71期棋聖戦(谷川2-3羽生)、第41期王位戦(谷川3-4羽生)、第50期王将戦(谷川1-4羽生)という3つのタイトル戦で羽生と対決する。特に棋聖戦と王位戦は日程が重なり、また、どちらも最終局までもつれ込んだため、‘十二番勝負’と言われた。結果は、3つとも敗退し無冠となる。しかし、この年度の第59期A級順位戦では最終9回戦で佐藤康光との同星決戦(6勝2敗同士)を制し、丸山忠久名人への挑戦権を得る。, そして、2001年度の第59期名人戦(谷川3-4丸山)は、3年前の佐藤との名人戦と同様、第6局まですべて先手が勝ち、最終局だけ後手が勝つという展開(千日手指し直しがあった点は異なる)で、丸山の防衛となった。この名人戦は、後手の谷川の四間飛車に対して丸山が「ミレニアム囲い[注 9]」を2度用いたり、横歩取り8五飛が3度現れたりするなど、当時の流行を象徴する戦いとなった。, 2002年度、第43期王位戦七番勝負(谷川4-1羽生)で羽生善治から王位を奪取。およそ2年ぶりにタイトル保持者となる。このシリーズの全6局(第5局の千日手指し直しも含む)は、全て異なる戦形であった(第1局から順にゴキゲン中飛車超急戦、横歩取り青野新手3六歩、矢倉、角換わり腰掛け銀、向かい飛車、相穴熊)。なお、この王位戦の第1局で、ちょうど公式戦通算1000勝(特別将棋栄誉賞、史上7人目)を記録したので、当時、NHKに解説役で出演した棋士が「1000勝で先勝」という駄洒落を言っている。, 翌2003年度の第44期王位戦(谷川4-1羽生)は、羽生に奪還を許さず2連覇した。羽生を相手に、同一タイトル戦で2年連続勝利したのは谷川が初である[注 10]。また、同年度、第29期棋王戦(谷川3-1丸山)では、丸山忠久得意の、先手・角換わり、後手・横歩取り8五飛を打ち破って棋王位を奪取。1998年の名人失冠以来、約6年振りに二冠(王位・棋王)となる。, しかし、これら2つのタイトルは、次年度(2004年度)に、第45期王位戦(谷川1-4羽生)と第30期棋王戦(谷川0-3羽生)で、いずれも羽生に奪取されてしまい。またも無冠に追い込まれる。, 2003年12月19日、A級順位戦の対・島朗戦において、棒銀の銀をタダ捨てした名手を指す。出だし、島が自分から角交換をして「先後逆の角換わり」の将棋となり、右図はその53手目、谷川の棒銀による銀交換を先手の島が拒否して、7七にいた銀を▲8八銀と引いた局面である。ここで、「△7七銀成」(54手目)が炸裂。以下、▲同桂△3八馬▲同金△8九飛▲7九銀△8八飛行成▲同金△7九飛成▲4八玉△8八竜▲4七玉△4五金と進み、たちまち寄り形。この54手目△7七銀成で将棋大賞の升田幸三賞を受賞した。同賞では、戦法でも囲いでもない特定の一手に対する初の授与であった。, 竜王戦で、第1期(1988年度)から第18期(2005年度)まで18期連続で1組に在籍(竜王在位を含む)。第1期からの連続記録としては最長である。, 2005年度の第64期A級順位戦では8勝1敗で羽生と並んでトップタイとなる。二者によるプレーオフは2006年3月16日に行われ、流行の、後手番一手損角換わりの戦形となった。最終盤で羽生は127手目に▲3一角と打ち捨ててから谷川の玉を猛然と詰ましにかかったが、谷川は巧みに詰みを逃れて156手で勝利。この一局の内容は高く評価され、将棋大賞で新設されたばかりの「名局賞」を、羽生とともに受賞した[注 11]。, そして、11度目の名人戦登場となる第64期(2006年度)名人戦(谷川2-4森内)を迎えたが、第1局では、終盤に森内が自陣の7二と8二に銀を並べ打つという珍形の強い受けを見せて勝ち、また、第2局では、一転してゴキゲン中飛車・超急戦での一方的な内容で居飛車側の森内が勝つという出だしとなった。あとは、先手番に自信を持つ森内に着実に2勝を上積みされて敗退。9年ぶりの名人復位はならなかった。, 第67期(2008年度)A級順位戦は、最終局1局だけ残した時点でも降級の可能性があるという、谷川にとっては初めての危機を迎え、このことは地方紙でさえ取り上げられた。そして、最終局(2009年3月3日)の対・鈴木大介戦は、「勝った方が残留、負けた方が降級」という決戦となった。この大事な一局で先手番の谷川が選択し、誘導した戦形は、相振り飛車であった。結果は谷川の勝ちとなり、A級残留に成功した。, 2007年度、2008年度と、タイトル戦登場も優勝もない年度が続いたが、2009年度はJT将棋日本シリーズで優勝し、同棋戦での最多優勝記録を6に更新した。なお、前年度獲得賞金・対局料ランキング13位だった谷川には、もともと日本シリーズへの出場権がなかったが、渡辺明(竜王として出場予定)が近親者から新型インフルエンザを感染している可能性があって欠場したため、繰り上げ出場した。優勝後のインタビューでは、「本来、出場できる立場ではなかった」とし、優勝賞金(500万円)は主催者や連盟と相談の上、小学生への普及のために使ってほしいとの旨を語った[18]。そして、翌年の9月に3000セット(東京都に2000セット、大阪市に1000セット)の将棋盤と駒を寄付した[19]。, 第69期(2010年度)A級順位戦で残留し、第70期順位戦をA級のまま迎えることが決定。これで、A級在籍の連続記録を30期(名人在位を含む)に伸ばして中原誠の記録を抜き、歴代単独3位となった[注 12]。, 2011年3月10日、第24期竜王戦2組昇級者決定戦1回戦で中川大輔に勝ち、史上4人目の公式戦通算1200勝(1901局・698敗・3持将棋、勝率0.632)を達成。48歳11か月での達成は当時の最年少であり、四段昇段後34年2か月での達成は、33年8か月の中原誠十六世名人に次ぐ記録であった[20][注 13]。, 「永世棋聖」獲得(棋聖位通算5期)まであと1期と迫っているが、2000年度の棋聖失冠以降、2009年度のベスト4が最高である(当時新人の稲葉陽にリーグと準決勝の両方で負けた)。, 2012年4月26日、竜王戦2組昇級者決定戦1回戦において阿久津主税に敗れて、3組への陥落が確定(A級棋士で3組以下に在籍するのは屋敷伸之以来)。, 第71期(2012年度)A級順位戦では、2勝6敗で谷川(4位)・高橋道雄(8位)・橋本崇載(9位)の3人が並び、降級の可能性を残して最終局(2013年3月1日)に臨んだ。順位が他の2名より上位のため勝てば自力で残留を決められる対局であったが、屋敷伸之に敗れ、谷川の残留は他の対局の結果へ委ねられることになった。しかし高橋と橋本が揃って敗れたため、辛くもA級残留を果たした。, 第72期(2013年度)A級順位戦に参加し、連続A級在籍記録は升田幸三を抜き歴代単独2位となったが、2014年1月7日に渡辺明に敗れ1勝6敗となった後、10日に行方尚史と屋敷伸之が勝った為、B級1組への降級が決定し、連続在籍記録は32期で途絶えた。なお、永世名人(厳密には永世名人資格保持者)がB級1組所属となるのは第59期(2000年度)の中原誠十六世名人以来となる[21][22]。, 2018年10月1日、第68回NHK杯2回戦で稲葉陽に勝ち、史上5人目の公式戦通算1300勝(2135局・832敗・3持将棋、勝率0.610)を達成[23][注 14]。2019年1月22日には、第32期竜王戦4組ランキング戦で船江恒平に勝ち、中原誠の通算1308勝を超えて歴代4位の勝ち星となる1309勝を達成[24]。また、2019年9月12日には、第78期順位戦B級1組で松尾歩に勝利し、加藤一二三の通算1324勝を超え、羽生善治・大山康晴に次いで歴代3位の勝ち星となる1325勝を達成した[25]。, しかし、松尾戦以降は順位戦で勝ち星を挙げることが出来ず、2020年1月23日の千田翔太戦で敗れたことにより、最終局を待たずにB級2組への降級が決まった(最終結果は3勝9敗のクラス12位)。名人経験者のB級2組降級は加藤一二三・丸山忠久に次いで史上3人目、永世名人資格者でA級から降級した3人のうち、中原誠と森内俊之はB級1組でフリークラスに転出しており、永世名人資格者のB級2組降級は谷川が史上初となる。, 他の棋士が思いつきにくい手順でたちまち敵の玉を寄せることから、「光速の寄せ」、「光速流」というキャッチフレーズが付いている。

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